ページの先頭へ

                                            トップページに戻る
少年リスト  映画(邦題)リスト  国別(原題)リスト  年代順リスト

La corsa dell'innocente フライト・オブ・ジ・イノセント

イタリア映画 (1992)

『Ransom kidnapping: the anonymous underworld of the Italian Republic〔身代金誘拐: イタリア共和国の名を伏せた悪の世界〕』(Alessandra Montalbano著、ケンブリッジ大学出版会、2016)は、1960年代後半から1990年代後半にかけて、サルデーニャのギャング、シシリーのマフィア、カラブリアの “ンドランゲタ〔'Ndrangheta〕” によって、特にイタリア北部の数百人の男女・子供が身代金目的で誘拐されて南部に移送された 「社会的現象」 を分析した著書。そこで、印象深かった言葉は、「イタリアの悪の世界にとって、誘拐は近代化への対応であり手段であった」「特に、ンドランゲタの場合、誘拐は 真の産業〔veritable industry〕となった」という恐ろしいもの。監督は、この映画が日本で公開された時のパンフレットの中で、「ストーリーはフィクションですが、私が住んでいた地方で実際に起きたことです。誘拐された人間が監禁されている間に殺されたことがありました。人質を他の組織に売り渡すのも、組織の内ゲバも、実話です」と述べている。そのストーリーは、イタリア半島の南端に位置するカラブリアで、身代金目的の誘拐をビジネスとするンドランゲタの一家の末っ子ヴィートの 「数奇で危険に満ちた逃避と贖(あがな)い」の物語。この 「贖い」 は、先の監督の弁によれば、「ギャングたちが落としている南部の評判を回復したかった」という発想から考えられたもの。映画の主役は11歳のヴィートで、ほぼ出ずっぱりだが、決して子供向きの映画ではない。それは、ヴィートの祖父、祖母、父、母、姉、長男、次男の全員が 敵のンドランゲタに惨殺される際、ルパーラ〔銃身を切り詰めた水平二連の散弾銃〕を使った激しい銃撃と、それによって飛び散る血しぶきが随所に見られるからだ。映画のテンポは快適なほど早く、内容に不明瞭な点も少なく、一見の価値はあるのだが、日本で劇場公開されたにもかかわらず、DVDは発売されておらず、VHSは販売されたようだが市場から消えている。なぜだろう? ところで、先のパンフレットには、アメリカのメジャーが、この映画を契機に 監督のカルロ・カルレイに注目し、「今回の成功によって彼のところには早くもアメリカのプロデューサーから演出依頼が舞い込み、彼はすでに、ベルトリッチ〔『暗殺の森』『1900年』『ラストエンペラー』〕のような世界へ飛躍するイタリアの監督たちのあとに続く存在になったようだ」と書かれている。これは当たっていたか? 実際には、カルロ・カルレイがアメリカで監督したのは1作のみ。それが、少し前に紹介した 犬が主役の子供向き映画『フルーク』。あとは、3年に一度くらいの頻度でイタリアのTV映画があるだけ。なんと侘しい監督人生だろう。主役のヴィートを演じたマヌエル・コラオは、パンフレットの中のインタビューで、「これからも映画の仕事を続けたい?」かと訊かれ、①チャンスがあれば 他のたくさんの映画に出てみたい、②カルレイ監督と もう一度一緒に仕事をしたい、と語っているが、これは実現したか? 実際には、2年後に端役で1回、13年後の大人になってからTV映画に端役で出た程度。彼は、一体どんな人生を選んだのだろうか?

箇条書きの方が分かり易いので…
カラブリア: ヴィートの父が、仲間2人と一緒に 敵対するンドランゲタの家族2人を撃ち殺す。
カラブリア: 翌朝、敵対するンドランゲタのボスが 仲間2人と一緒にヴィートの家を襲い、ベッドの “裏側” に隠れたヴィートを除き、全員を撃ち殺す。
カラブリア: ヴィートは、誘拐したシエナの富豪の息子シモーネを監禁していた洞窟に行くが、監視役の兄も、シモーネも殺されていた(ヴィートは シモーネのリュックを背負う)。ヴィートは、まだその場に残っていたンドランゲタのボスに追われる。
カラブリア: ヴィートは、近くの村に逃げ、駅に着いたディーゼル車に間一髪で間に合い、ボスに殺されずに済んだ。
カラブリア: 切符もお金もないヴィートは、車掌に見つかり、次の駅で降ろされる。
カラブリア: ヴィートは、海に向かって歩き、その日の夜は、海に突き出た桟橋の先端で眠る。
カラブリア: 翌日、ヴィートは、ローマに行き、従兄のオルランドに相談しようとトラックの荷台に隠れる。
ローマ: その日の夕方、ローマに着いたヴィートは、従兄がいると思った大学寮に行くが、従兄は そこには住んでおらず、従兄の女友達が従兄のアパートまで連れて行ってくれる。
ローマ: 翌朝、ヴィートは従兄に連れられて大学まで朝食を食べに行き、そこで正体不明のロッコという人物と会う。
ローマ: しかし、ヴィートが従兄とアパートに戻ると、室内は物色され、めちゃめちゃに破壊されていた。しかし、TVの中に隠しておいた銃と黒い包みだけは盗難を免れていた。
ローマ: 従兄は、階段で降りる途中で、黒い包みをヴィートの背負ったリュックに入れる。そして、1階まで行ったところで、ンドランゲタのボスに殺される。
ローマ: アパートの警備員が銃声を聞いて駆け付けた隙に、ヴィートはアパートを抜け出し、大学の近くにあるヴェラーノ記念墓地の中に逃げ込み、一つの墓廟の中に身を隠す。そこで、黒い包みの中が札束(シモーネの両親が払った身代金)だと知る。
ローマ: 翌朝、ヴィートは、花柄掃除のトラックに隠れて墓地を脱出し、リュックを隠して、警察に出頭する。
ローマ: ヴィートが、カラブリアの惨殺事件の生き残りだと分かった警察は、ヴィートに質問するが、ヴィートは “何も知らない” の一点張りで通し、孤児院に預けられる。
ローマ: 警察に内通者がいて、この件はンドランゲタのボスの知るところとなり、翌日、ボスに脅されたロッコが警官の服装で孤児院を訪れ、ヴィートを連れ出す。
ローマ: ロッコはヴィートをテーマパークに連れて行き、ご機嫌を取った上で、黒い包みを渡すよう要求するが、ヴィートは拒否。隙を見て逃げ出し、お化け屋敷に隠れる。
ローマ: 翌朝、テーマパークを抜け出したヴィートは、リュックを回収し、お金を返そうと、テリミナ駅まで行き、シエナまでの切符を買う。
シエナ: ヴィートは、町の広場で遊んでいた子供達にシモーネの家の通りの場所を教えてもらう。その際、誰かが蹴ったボールが工事現場に飛び込んでしまい、ヴィートは、それをどうやって回収するのか興味深く見ている。
シエナ: ヴィートは、シモーネの大邸宅の中に入り込み、シモーネのベッドの脇にリュックを置き、疲れていたのでベッドでウトウトする。
シエナ: シモーネの母が突然部屋に入ってくる。ヴィートは、すぐ横の人形劇の棚の中に隠れるが、リュックを発見した母が必死に探し、見つかってしまう。
シエナ: シモーネが拉致されて1年以上経ち、精神的に不安定になっていた母は、最初、ヴィートを “戻ってきたシモーネ” と思い込む。
シエナ: そこに、夫のダビデが現われ、妻の勘違いを訂正し、ヴィートが身代金を持っていることに驚くが、感謝はせず、厳しく問い詰める。
シエナ: ダビデの元に、ンドランゲタのボスから、シモーネと身代金の交換の要求が入り、ヴィートはシモーネは死んだと打ち明けるが、ダビデは聞く耳を持たない。
シエナ: 結局、ヴィートは部屋に監禁され、ダビデはお金を持って夜、車で家を出て行く。しかし、ボスの提案が詐欺だと知っているヴィートは、危険を顧みず、ダビデの車の中に隠れて同行する。
シエナ: シモーネと身代金の交換場所に着くが、ダビデがシモーネを見せるよう要求しても、シモーネは既に死んでいるので、ボスは執拗に金を要求する。ヴィートは、突然車から出ると、ボスの悪事のすべてをバラし、交渉を決裂させる。
シエナ: しかし、そのままでは、2人とも殺されてしまうので、ヴィートは、黒い包みをまだ持っていて、ある場所に隠したと嘘を付き、それを渡すから、ダビデの命を助けるよう求める。
シエナ: ヴィートがボスを連れて行った場所は、子供達がボールを蹴っていた場所。その時の “トリック” を使い、ヴィートはボスの手から巧く逃げるが、すぐに見つかり、後を追われる。
シエナ: ヴィートは、別の大きな広場に追い詰められ、階段を駆け上がって、昇り着いた時、後ろからボスに撃たれて倒れる。しかし、どうやってこの危機を知ったのか甚だ不可解だが、すぐにパトカーが飛んで来て ボスと銃撃戦となり、ボスは死ぬ。
シエナ: ヴィートは、救急車に運ばれる途中で、駆け付けたダビデと目が合う。
シエナ: 元気になったヴィートが、シモーネの部屋にいる。その勇気と功績に感謝したシモーネの両親が、孤児院に入れずに引き取って養子にしたのだろうか?

主人公のヴィートを演じるのは、これが演技初体験のマヌエル・コラオ(Manuel Colao)。1980年4月30日生まれ。映画は1981年の撮影なので、11歳。映画のパンフレットには、カラブリアの学校に通っていたマヌエルを発見したのは監督自身で、その後、1000人ほどのオーディションを勝ち抜いて、ヴィート役を射止めたと書いてある。

あらすじ

映画が始まると、カラブリアの集落のある丘の下で羊の番をしている2人の男が映る。2人は、ラジオのサッカー、ミラノ・ローマ戦に耳を傾けてリラックスしている。しかし、その雰囲気は、牧羊犬が何かを察知した途端に急変、いきなり1人が胸を撃たれて死ぬ。3人の銃を持った男が、残った1人の背後から迫る。男は、集落に向かって必死で走る(1枚目の写真)。この “集落” は、実はサンタ・マリア・デッレ・アルミの聖域(Santuario di Santa Maria delle Armi)と呼ばれる15-16世紀の遺構と、950年頃に建てられたサン・アンドレア修道院(Monastero di S. Andrea)の遺構の集合体(2枚目の写真)〔集落にしては立派過ぎる〕。男は、逃げる途中で胸を撃ち抜かれ(3枚目の写真)、その場に倒れる。何とか集落の方に這って行こうとするが、すぐ3人に追いつかれ、首領に仰向けにされる。男は 「殺さないで!」と頼むが、ルパーラを額に突き付けられ(4枚目の写真)、その後、銃声が響き渡る。
  
  
  
  

場面は変わり、ヴィートが木の股に腰を下ろしてノートに鷹の飛んでいる姿を描いている(1枚目の写真)。カメラは、飛んでいる鷹の目から見た映像に切り替わり、ヴィートのいる木から家に向かって進む空撮になる。ヴィートの家は 野原の中の一軒家だ。すると、豚に餌をやっていた母が、「ヴィート!」と 大きな声で呼ぶ。ヴィートは すぐに木から降りて 家に向かって走って行く。母が、石塀のところまで出て来て待っていると、ヴィートが嬉しそうな顔で、「ママ、鷹 見たよ」(2枚目の写真)と報告するが、母は 息子が外で時間を潰しているのを責めるような口ぶりで、「ワインを取ってきなさい」と 不機嫌そうに命じる(3枚目の写真)。
  
  
  

ヴィートが ワインの樽の置いてある納屋で、ホースを吸ってワインを容器に移し替えていると、ドアを乱暴に開けて父が入ってくる。ヴィートは、それを見て(1枚目の写真、矢印)、立ち上がると、樽の陰から父の様子を窺う。すると、父は、窓際の壁に何かを置くと、手で頭を抱えてから 立ち去る。後に残されていたものは、ルパーラ。恐ろしい銃だ。ヴィートの目が 大きく見開かれる。カメラは、水平二連になった銃口をクローズアップする。こうして “脇見” をしていたため、容器からはワインが溢れ出している。そして、その日の夕食。食卓の正面には祖父が座り、自家製のソーセージをナイフで切っている。ヴィートが背の低いイスに座ってTVを見ていると、年のあまり違わない次男が、ヴィートの頭をポンと叩いて行き、祖父が無言で睨む。そして、次男は、妹の横に座る。そこに、父が入って来て、祖父と無言で見つめ合い、子供には聞かせられない何かを伝達する〔さっきの羊飼いの男2人を銃殺したのは、この父〕。父は、妹の頭に触れ 「熱は下がったか?」と訊く。その時、一段低いイスに座っていたヴィートは、テーブルの下から見える父の靴に付着した血に気付く(2枚目の写真、矢印)。ヴィートの目は、その血痕に吸い付けられる(3枚目の写真)〔父は何をしてきたのだろう?〕
  
  
  

全員が食卓につき、夕食が始まる(1枚目の写真)。食事のシーン自体には意味はないが、ここに揃っているのは ヴィートの家族ほぼ全員だ。あと1人、長男が、後で出てくる洞窟に行っていて、ここには座っていない。そして、夜。ヴィートは、夕方に納屋で見たルパーラを夢に見る。そして、銃撃のような雷鳴が轟き、ヴィートは目が覚める(2枚目の写真)。外は滝のような雨だ。横を見ると、棚の上に置かれた家族写真が目に入る(3枚目の写真)〔一番右端が長男、ヴィートは中央。父の右下、母の左下、祖母の左〕
  
  
  

翌日は、朝から晴天。さっそく 母が、家から少し離れた斜面にシーツを干し始める。すると、銃声が響き、母の血でシーツが赤く染まり、2発目の銃撃で母が吹き飛ばされる(1枚目の写真)。その音にびっくりしたヴィートが、ベッドから半身を起こす(2枚目の写真)。襲ってきた敵は2人。父が、「クソッタレ〔Bastardi〕!」と叫びながら、ルパーラを手に納屋から飛び出すが、相手の1人は機関銃を連射し、それが父の脚に何発も当たる。その音で、ヴィートは寝ていたベッドの下に隠れる(3枚目の写真)。
  
  
  

その直後、父は、敵の首領にルパーラで腹を撃たれ ワラ山の上に吹き飛ばされる(1枚目の写真)。祖父は、2階の窓を開け、身も隠さずに、「チクショウ〔Cornuti〕!」と叫びながら撃つのだが、全く当たらない。逆に、後から加わった1人を入れた3人の正面からの連射で ハチの巣状にされる(2枚目の写真)。家の中に侵入した機関銃男は、叫び続ける祖母を惨殺し、室内にあったものを すべて連射で破壊する。他の2人は子供部屋に入って行き、まず次男を拳銃で撃ち殺し、次いで、泣いている妹も射殺。ベッドの下に誰か隠れていないか、チェックする。次男のベッドの脇の ヴィートの小さなベッドの下も覗くが、誰もいない。そこで、用が済んだとみなして家から出て行く。ヴィートは、ベッドの金属フレームと、マットレスの隙間に隠れて 殺されるのを免れた(3枚目の写真)。
  
  
  

人の気配がなくなったので、ヴィートは恐る恐るベッドの隙間から外に出る。最初に目に入ったのが、撃ち殺された次男(1枚目の写真)。その向こうには、血まみれになった祖父が仰向けに倒れている。1階に降りて行くと、床には粉々になった皿類が散乱し、その向こうに祖母が、これも血まみれになって横たわっている(2枚目の写真)。そして、家から外に出ていったヴィートが最初に気付いたのが、物干し場で倒れている母。ヴィートは、母の顔をじっと見て(3枚目の写真)、数回「ママ」と呼びかけるが 反応はない。そこで、何度も顔を撫でて別れを告げる。
  
  
  

ヴィートが最後に行ったのは納屋。父は、“虫の息” だったが、ヴィートの姿に気付き、何とか 「ヴィート、兄貴を探しに行け。急げ」とだけ言うと(1枚目の写真)、息絶える。ヴィートは、兄がいつも番をしている天然の洞窟めがけて全力で野原を走る。最後は、背の高い雑草が生い茂る中をかき分けて進むと、その奥に洞窟の入口がある(2枚目の写真)。ヴィートは、前にも入って行ったことあるので、兄がいる場所までは行くと、通路に派手な色のリュックが落ちているのに気付く(3枚目の写真)〔矢印の意味は次節で説明〕
  
  
  

ヴィートは、まず、リュックを拾い(1枚目の写真)、背中にかける。そして、角を曲がると、そこで見たのは、少年の死体(2枚目の写真)(前節の3枚目の写真の中央の矢印)。この少年の名はシモーネ。1年前にシエナ〔映画のパンフレットでは、なぜかジェノバになっている〕で誘拐され、両親は既に20億リラ〔1992年当時の約2億円〕を払っているのに、こんな洞窟の中に閉じ込められてきた可哀想な少年。誘拐の実行犯は不明だが、誘拐計画全体の主犯は、ヴィートの父。兄が監視役だった。殺されたシモーネに驚いたヴィートは、奥にいるのが長男だと思い、「サンチョ」と声をかける。しかし、兄はすでにナイフで殺されていて(3枚目の写真)(前節の3枚目の写真の左の矢印)、振り向いたのは、父を殺した主犯だった。この男には、名前がない。パンフレットには、何度も「スカーフェイス」と書かれているが、イタリア語字幕では、「顔にいっぱい傷のある男〔Era tutto sfregiato〕」という言い方が1回されるだけ。ヴィートはベッドの下に隠れていて、一度もこの男の顔を見たことはないハズだが、直感的にシモーネも兄もこの男が殺したと思い、すぐに逃げ出す。ここで疑問。なぜ、ヴィートの父は、20億リラが支払われた時点でシモーネを返さなかったのだろう? それに、そもそも、人質とお金の1対1の交換が原則のハズなのに、ヴィートの父は その保証がないのに なぜ20億リラを払ったのかという疑問もつきまとう。それらより大きな疑問は、なぜシモーネを殺したのだろう? 誘拐交換金をもっと “せびる” つもりなら、生かしておく方が圧倒的に有利なので、殺す必要など全くないと思うのだが? 顔を見られていて、逮捕される恐れがあるから? それなら、後で、この男自身がやるように、何らかの方法で顔が分からないようにすれば済むことだ。これらの疑問に関して、パンフレットの中の監督インタビューでは、質問も解答もなかった。
  
  
  

ヴィートを追おうとした男は、シモーネにつまずいて転倒し(1枚目の写真)、これが 結果的にヴィートを救うことになる。男は、落としたルパーラを拾うと、後を追い始める。逃げるヴィートと、追う男。映画の中で、ヴィートは何度も走って逃げるが、これが最初の “ラン” になるので、描写も長い。道に詳しいヴィートと、歩幅が圧倒的に大きい男との1対1の厳しい勝負だ。最初は茂みの中なのでルパーラは使えないが、オリーブの林に入ると(2枚目の写真、矢印は男)、男は一度停止してルパーラでヴィートを撃つ。幸い、弾は逸れて それだけ時間が稼げる。ヴィートは、丘の上の集落めがけて斜面を登って行く。集落のロケ地は、チーヴィタ(Civita)という村。ヴィートは、静まり返った村の小さな広場に駆け込むと、唯一、窓辺にいた老女に、「おばさん!」と叫びながら走って行く(3枚目の写真、矢印)。そして、「僕、殺されちゃう!」と大声で言いながら、ドアを叩くが、老女は、早々に窓を閉め、ンドランゲタの抗争に巻き込まれないようにする。この場面の、28年後の状態が4枚目の写真(矢印は 老女のいた窓)。かなり山が迫っていることが分かる。
  
  
  
  

その時、遠くの方から列車の警笛が聞こえる。ヴィートは、列車に乗って逃げようと、駅の方に向かう。ただ、このチーヴィタという山村には鉄道が通っていない。鉄道駅のある村のロケ地は、カルパンツァーノ(Carpanzano)という、チーヴィタからは100キロも離れた寒村。ヴィートが走っていると、1両編成のディーゼル車が駅に到着する(1枚目の写真)。この駅で、観光客用の蒸気機関車の運行を紹介した1993年5月12日のYouTube動画の中の1コマが2枚目の写真。映画の撮影は1991年だと思われるが、それから僅か2年ほどで駅舎のプラットホーム側に屋根が造られている。因みにこの鉄道は、コゼンツァ(Cosenza)~カタンツァーロ・リド(Catanzaro Lido)線で、今は現代的な車両が走っている。ヴィートは、発車間際の列車に何とか乗り込むのに成功し、列車はゆっくりと動き出す(3枚目の写真、矢印)。ヴィートを追って来た男は、僅かの差で乗ることができず、動き出した列車を恐ろしい形相で追いかけるが(4枚目の写真)、次第に引き離され、追跡をあきらめる。
  
  
  
  

列車はすぐにトンネルに入る〔カルパンツァーノは丘の上の町なので、駅は村の下にポツンと離れている。だから、電車は、村の下をトンネルで潜って行く〕。トンネルの中を走っている間、車内は真っ暗。トンネルから出ると、列車の最後尾(車掌の部屋)に陣取ったヴィートは、シモーネのリュックを肩から外す。リュックには、スヌーピーの絵が縫い付けてある〔ヴィートには、それが何か理解できなかっただろう〕。ヴィートはリュックの中を覗き、最初に興味を持ったのが、スヌーピーが先端に付いた鉛筆(1枚目の写真)。そして、次に取り出したのが、『観察し、理解する』という小学4年向きの教科書。ヴィートは月の拡大写真のページに見入る(2枚目の写真)。また、その本には、シモーネの名前と住所、学校名も書いてある(3枚目の写真)。
  
  
  

それを見ているうちに、眠くなったヴィートは眠ってしまう。黒の目出し帽を被ったヴィートが洞窟でシモーネと会う(1枚目の写真)。シモーネは、「お願い、助けて」と頼むが(2枚目の写真)、ヴィートには何もできない。彼にできたのは、ドナルドダック〔イタリア語で『Paperino』〕の漫画本を渡すことくらいだったが(3枚目の写真)、それを兄に見つかり、「ここには来るなと 何回言わせる気だ?」と叱られる。
  
  
  

ヴィートの夢は、車掌がドアを開け、横の壁をドンドン叩く音で終わりを告げる。「ここで 何やってる?」。ヴィートは、切符を買わずに乗っていたし、車掌に渡 すお金もなかったので、次の駅で電車から追い出される(1枚目の写真、矢印)。ロケ地はサンタ・マルゲリータ(Santa Margherita)。カルパンツァーノの南東約13キロ。ヴィートが駅から野原に入り、植林された森を通り過ぎると、初めて見るものが目の前に現われる。コンビナートの廃墟だ(2枚目の写真)。ヴィートは、そのコンビナートの係船用の長い桟橋の先端まで行く(3枚目の写真、矢印)。このロケ地は、マイダ・マリーナ(Maida Marina)の海岸にあり、サンタ・マルゲリータの駅から、直線距離で26キロもある。この桟橋は、2012年に何ヶ所かで倒壊し、今では4枚目の写真のようになっている。ヴィートは、先端の一段低くなった所に座り込むと、もう一度、教科書の月の拡大写真を見て、そこに書いてある文字を読み上げる。「嵐の大洋、雨の海、静かの海」。そして、リュックを抱え、沈みゆく夕日をじっと見つめる(5枚目の写真)。ヴィートは、結局、この場所で一家皆殺しの日の夜を過ごす。
  
  
  
  
  

翌朝、ヴィートは近くの町まで出て来る。お腹が空いたので、レストランの外のゴミ箱を覗いていると、そこの娘が、「ねえ、何してんの? そんなの食べたら、病気になるだけよ。お腹空いてるの?」と訊く。次のシーンでは、テーブルに座ったヴィートが、ガツガツと食べている。ヴィートより、少しだけ年上の少女は、「何年生?」と訊く。ヴィートは首を横に振る。「学校、行ってないの? 義務のハズよ」。「3年行っただけ」。「なんで?」。「病気しちゃって、4年生にならなかった」。「私、7年生よ〔日本の中学1年〕。今日は家にいて、ママを手伝ってるの」。ここで、TVのアナウンサーが、「昨日、一家6人が殺されたアスプロモンテの虐殺について、新しいニュースはありません。今回の事件は、皆殺しにされた家族の長ロザリオ・プトルティが所属していた犯罪組織「アノニマ・セクエストリ」内での何らかの遺恨が原因だと思われます」と話す(2枚目の写真、矢印はヴィートの父)。「1年前、シエナで誘拐され、未だに組織に拘束されているシモーネ・リエンツィ君の運命については、常に不安がつきまとっていましたが、今朝、誘拐犯からシモーネ君の家族に再度コンタクトがありました。ご両親は、シモーネ君の解放に、既に20億リラの身代金を支払っておられます」。ここで、シモーネの両親が映り、父親が、まずマスコミに 「慎重で機密性にある捜査を保証するため、マスコミの皆さんには、さらなる展開があるまで、沈黙を守っていただきたく思います」と言った後、誘拐犯に向かい、非常に丁寧な言葉遣いで話しかける。「私が申し上げられるのは、シモーネが元気で生きているという証拠がいただきたい ということです。シモーネを預かっている皆さん〔signori〕、息子を返して下さるのであれば、私共は、如何なる犠牲も喜んで払うと 申し上げたい」。この父の言葉に続き、母親が、「シモーネ、すぐ家に戻してあげるからね。頑張って、勇気を持って待っていて。ママからのキスを山ほど」と、シモーネに話しかける。こうした話を、シモーネが既に死んでいると知っているヴィートは、辛い気持ちで聞いている(3枚目の写真)。そして、ローマにいる従兄のオルランドに相談しようと決心し、親切にしてくれた少女に、「僕、行かないと」と 別れを告げる。
  
  
  

ヴィートは、ローマに向かうトラックの荷室の中にこっそり入り込む(1枚目の写真)。1991年には高速道路はローマまで完成していたが、その距離は約570キロ。5-6時間は、写真のような姿で我慢していたことになる。トラックは、専用の荷下ろし施設の中にバックで進入。ヴィートは、トラックが停まると同時に、リュックを投げ落とし、自分も荷台から飛び降りる(2枚目の写真)。そして、そのまま開いていたドアから廊下に逃げ込む。廊下の先の大きな扉を開けると、そこは大規模なショッピング・モール。ヴィートが見たこともないような世界だった(3枚目の写真、矢印)。このロケ地は、チネチッタ・ドゥーエ(CinecittàDue)というローマ郊外にあるショッピング・モール(4枚目の写真)〔コロッセオの東南東8キロ〕
  
  
  
  

ここを出たヴィートは、バスの出口から入って無賃乗車、従兄のオルランドの情報を求めて、大学寮に行く(1枚目の写真)。このロケ地は、ローマにあるサピエンツァ(Sapienza)〔“知恵” という意味〕大学の寮(2枚目のグーグル・ストリートビュー参照)〔コロッセオの東北東2キロ強〕。ヴィートの用を聞いた受付の男性から、「オルランドは、ここで暮らしてるのかね?」と訊かれ、「はい」と答える。「君は、どこから来た? カラブリアか?」。ヴィートは頷く(3枚目の写真)。「そのオルランドとやらは、君の従兄なんだね?」。「はい」。受付の男性は、遠くからやって来た小さな子が可哀想になり、オルランドという名前の女性がこの寮にいるので、彼女なら知っているかもと電話をかけてくれる。幸い女性は部屋にいて、ヴィートを自分の車に乗せて従兄のアパートまで連れて行ってくれる。車内で、「ローマに来たの初めて? 気に入った?」と訊かれ、ヴィートは、「はい」と答える。「どうしちゃったの? 一人で来たの?」〔女性は、ヴィートがTVの惨殺一家の生き残りとは気付いていない〕。ヴィートが答えるのを渋ると、「いいわよ。言いたくないのね」と、不問にしてくれる。ヴィートは、トラックの中で長時間我慢してくたびれていたので、すぐに うとうとしてしまう。アパートの前で待っていた従兄が、半分眠っているヴィートを抱き上げて車から出す(4枚目の写真)。このロケ地は、ブルーノ・リッツィエリ通り(Viale Bruno Rizzieri)〔コロッセオの東南東9キロ弱/最初にローマに着いたチネチッタ・ドゥーエからは1キロちょっとしか離れていない〕
  
  
  
  

従兄は、ヴィートを優しくソファに寝かせると、じっと顔を見つめて頬に手を当てる(1枚目の写真)。そして、「心配するな。俺はここにいる。眠れ」と、声をかける(2枚目の写真)。ヴィートは、「オルランドさん、みんな死んじゃった。シモーネまで殺したんだ」と話す(3枚目の写真)。従兄は、「そのことは話しちゃいかん。誰にもだ。いいな」と注意する〔敵に知られると、ヴィートの命が危ないから?〕。「みんなを殺した男は、僕も殺そうとしたけど、逃げたんだ」。「そいつを見たか?」。「顔の半分が、切り刻まれてた」。それで、従兄は敵が誰だか分かる。「もう考えるな。眠れ」。
  
  
  

翌朝、ヴィートは従兄に連れられてサピエンツァ大学に行き、朝食をとる。しかし、ヴィートは難しい顔をして まるで食欲がないように見える。「どうした? 腹が空いてないのか? 好きじゃないんなら、取り替えるぞ」。「オルランドさん、僕 怖いんだ」(1枚目の写真)。「俺を見ろ。一つ教えてやる。ここには山なんかない。怖いのは山だけだ。そこの奴らはここには来ない。あっちじゃタフだが、ここじゃバスにも乗れん。ここは、巨大な都会だ。お前はここに住んで、スマートに生きるすべを学べ」。それだけ言うと、従兄はお札を1枚見せる。「これが何か分かるか? これが秘訣なんだ。これさえあれば、お前は、どこでも好きな所に行ける。欲しい物は何でも手に入る」。そのあと、ヴィートは、大学の立派な図書館の前の水盤の縁に寝て、水面を枝で叩いて 寂しそうに時間を潰す(2枚目の写真)。この場所の、図書館正面の光景は、3枚目のグーグルマップの固定点写真ですごく良く分かる〔子供が寝転んで暇つぶしをするような場所ではない〕。その頃、従兄はロッコという男と図書館の前で話していた。ロッコ:「だが、どうにもならんのか?」。従兄:「ああ。待つしかない。ほとぼりが冷めるまでな」。「やばいぞ。お前の従弟、つけられたかもしれん」。「あいつもプトルティの一族だ。そんなドジは踏まん。落ち着け。奴らは、人質は殺したが、金は奪う気だ。俺たちに構ってる暇などない」。そこに、ヴィートがやってくる。ロッコ:「よお、ヴィートのお越しだ。偉いぞ。みんなが、お前みたいに勇敢でないとな」(4枚目の写真)。ヴィートがうつむいていると、「頭を上げろ。自分自身と、一族を誇りに思え。忘れるなよ」と励ます〔オルランドとロッコの関係が、映画の最後まで分からない〕
  
  
  
  

サピエンツァ大学から、ブルーノ・リッツィエリ通りにあるアパートまで帰ると、この往復の数時間の間に様子は一変、部屋の中は、徹底的に破壊され尽していた〔ヴィートの一家を惨殺した犯人の仕業〕。しかし、従兄がTVのケースを開くと、中に隠してあった拳銃と、一番大切な “黒い包み” は盗まれずに残っていた(1枚目の写真、矢印)。アパートにいるのは危険なので、従兄はヴィートを連れてすぐ廊下に出ると、エレベーターを使わずに、階段を走り降りる。そして、2階に着くと、黒い包みをヴィートのリュックに入れる(2枚目の写真、矢印)。そして、「ここで 待ってろ」と言うと、銃を手に1階に降りて行く。そして、玄関ホールに着いた途端、ルパーラの銃弾を浴びて、数メートル、吹き飛ばされる(3枚目の写真)。それを見たヴィートは、一家惨殺の再現かと恐怖に慄(おのの)く(4枚目の写真)。銃声を聞いた警備員が階段を駆け下りてくる。
  
  
  
  

なぜそんな行動に出たのかは分からないが、好きになりかけていた従兄が目の前で絶命したことで何も考えられなくなったヴィートは、銃口が向けられていることを知りつつ、従兄の遺体の前に降りて行く。当然、顔に醜い傷を負った殺人鬼は、ルパーラをヴィートに向け、「よく見ておけ。これが死だ」と言い(1枚目の写真、矢印はルパーラ)、壁際に追い詰めて撃ち殺そうとする。その時、間に合った警備員が、階段の踊り場から、「やめろ! 何してる?!」と叫ぶ。殺人鬼は、何も言わずに、ルパーラを警備員に向けて撃つ(2枚目の写真)。その隙に、ヴィートはアパートの出口に向かって突進する。血まみれになった警備員は、従兄の横まで転がり落ちる。門から逃げ出したヴィートは(3枚目の写真)、殺人鬼を乗せて来た仲間の車のボンネットの上に飛び乗り、大通りを渡って反対側に逃げる。4枚目のグーグル・ストリートビューは、この場面に使われたアパートの建物と出口の門(矢印)。
  
  
  
  

ヴィートを追って飛び出てきた殺人鬼は車に飛び乗り、バイクに乗った もう1人の仲間と一緒にヴィートを追跡する。ヴィートは、大通りの反対側にある聖ジョアキーノ・アンナ教会(Chiesa di Santi Gioacchino e Anna)の中に逃げ込み、裏口からアパートの立ち並ぶ地区に逃げる。その間、車はヴィートを見失うが、バイクは教会の反対側で待っていて後を追う。ヴィートは、路面電車にタダ乗りする。しかし、それを見ていたバイクも追ってきたため、ヴィートが安全だと思って降りた場所は、完全に男にマークされていた。ただ、バイクがあまりに近くに寄ってきたため、ヴィートは追っ手だと気付く。そこで、ヴィートは正面に見えた門のような建物に向かって全速で走る(1枚目の写真、矢印)。ここは、サピエンツァ大学の近くにあるヴェラーノ記念墓地(Cimitero Monumentale del Verano)の入口にある “3つのアーチのある正面玄関”(2枚目の写真は全景)〔因みに、この墓地は、古代ローマのネクロポリス跡に19世紀初頭に建設が始まったもので、正面玄関は、1880年に完成したヴェスピニャーニ(Vespignani)の作品〕。バイクの男は、中に乗り入れできないので、走ってヴィートを追う。墓地の中には、非常に立派な墓廟と樹木が錯綜しており、ヴィートが、大きな墓廟の地下室に逃げ込んでしまったため、男は完全にヴィートを見失う。地下室の中は、電気ロウソクが10個以上も 年中点けられていて、それなりに明るいので、ヴィートはリュックの中に従兄が入れた黒い包みを取り出す(3枚目の写真、矢印)。そして、テープを剥がして中を見ると、そこには、10万リラ札の束がぎっしり詰まっていた(4枚目の写真)〔10万リラ札の100枚束が200個〕。これは、シモーネの身代金20億リラなのだが、それがカラブリアのヴィートの家ではなく、なぜ従兄のオルランドのアパートに隠してあったのかは全くの謎。
  
  
  
  

翌朝、ヴィートは 豪華な墓廟の門を開けて外に出る(1枚目の写真)。そして、たまたま目の前に停まっていたのが、墓に添えられた枯れた花を回収して捨てる業者の小さなトラック。ヴェラーノ記念墓地の1ヶ所しかない入口は見張られているに決まっているので、ヴィートのこの枯れ花の山の中に隠れる。最初は、中に潜んだヴィートからのアングルで、バイクの男と、その右に停まっている車が見える(2枚目の写真、矢印)。次の、殺人鬼が助手席に乗った車からのアングルでは、運転手が 門から出てくるトラックを見ている。しかし、まさか その中にヴィートが隠れているとは思わない(3枚目の写真、矢印の中にヴィート)。
  
  
  

ヴィートは、追っ手をまいたと確信すると、トラックを降りてから のんびりと通りを歩く。そして、16世紀に建てられた、シャラ・コロンナ家のカルボニャーノ王子のための宮殿(Palazzo Sciarra Colonna Carbognano)の前にあるキオスク〔ヴェラーノ記念墓地の門の西3.2キロ〕の背後の壁に貼ってあるポスターをじっと見る。そこには、母に抱かれた幸せそうなシモーネの顔が映っていた(1枚目の写真)。それを見たヴィートは、教科書の裏に書いてある電話番号にかける。電話を取ったのは、シモーネの母。ヴィートは何も言わない。「もしもし、誰なの?」。それでも、ヴィートは黙っている(2枚目の写真)。母は、相手が誘拐犯だと思い込み、「シモーネと話したい。話させて」と 必死に頼む。たまらずに電話を切ったヴィートは、バロックを代表するイタリアの彫刻家ベルニーニが作ったトリトーネの噴水(Fontana del Tritone)のあるバルベリーニ広場(Piazza Barberini)に行き、どうしようかと迷い、警察署の前で立ち尽くす(3枚目の写真、右の矢印がヴィート、中央の矢印が警察署)。4枚目の写真は、グーグル・ストリートビュー〔この場所は、さっきのキオスクの北東800mにある。ただ、実際には、この建物は警察署ではなく、今ではLookmakerという美容院〕
  
  
  
  

警察署の前にたむろしていた3人の警官の目から見ると、自分達を真っ直ぐ見つめているヴィートは異様に思える(1枚目の写真)。そこで、真ん中の婦警が、「坊や、何か用なの?」と声をかける(2枚目の写真)。ヴィートは何も答えずに、そのまま立っている。「ねえ、どうかしたの?」。すると、いきなりヴィートが逃げ出す。様子が変なので、3人の警官は後を追う。ヴィートは、近くの寂れた路地に入って行くと、一番に奥にあった “使われなくなった工場” の割れた窓ガラスの隙間から、シモーネのリュックを投げ込む(3枚目の写真)。そのあとで、探しに来た3人の警官の前に姿を見せる〔ヴィートが逃げ込んだ行き止まりの路地ヴィコロ・バルベリーニ(Vicolo Barberini)は、確かに署の近くなのだが、ヴィートは署からみて右に逃げた。しかし、ヴィコロ・バルベリーニは 広場を挟んで署の真正面にある〕
  
  
  

ヴィートは、最初、3人の中で一番優しそうな婦警から、食べ物と飲み物をもらう(1枚目の写真)。そのうち、最初に声を掛けた婦警がやってきて、「誰か、分ったわ」と知らせる。ヴィートは さっそくパトカーに乗せられ、連れて行かれた先は、高さ20mはありそうな巨大な中央通路のある歴史的建造物。手をついないでくれているのは、優しい婦警。次のシーンで、2人は、かくも立派な通路のある建物内にあるとは思えないほど貧相な作りの部屋にいる(2枚目の写真)。その部屋にいた警察の幹部は、プトルティ一家の集合写真を取り出す。ヴィートの顔には赤丸が付いている(3枚目の写真)。そして、「君の名前はヴィート。ヴィート・プトルティ。そうだね?」と訊く。さらに、「イタリア中の警察が総力を上げて君を探していたのを知らないのか? なぜ探していたと思う? 君を守るためだ。君の家族全員を殺した奴らの手に渡さないためだ」とも。しかし、ヴィートは、「僕、何も知りません。まだ子供だから、何が起きたかも、よく分かりません」と、嘘を付く(4枚目の写真)。「見たことを話してくれればいいんだ。分かるね?」。「何も知りません」。ここに、従兄の愛人が連れて来られる。「この子を、見たことがあるかね?」。「従兄に会いたがっていたので、連れて行きました」。「何が起きたか、君に話さなかったかな?」。「いいえ。私は、その夜、会ったきりです。この子、すごく疲れてて、すぐ眠りました」。「オルランドは、何か話した?」。「いいえ。家族のことは 一度も話しませんでした」。「アパートは、めちゃめちゃにされていた。彼を殺した奴は、何かを探していたに違いない。オルランドが何を隠していたか、思い当たることはないかね?」。「想像もつきません」。
  
  
  
  

結局、ヴィートは、その夜を過ごす場所として、孤児院に送られる。院長は優しくヴィートを迎え、警察から同行してきた担当者は、明日と明後日も取り調べがあると話す(1枚目の写真)。その夜、大部屋で、他の子供達と一緒に寝たヴィートは、隣のベッドの年下の子がうなされ続けているのを聞き、優しく布団をかけてやる(2枚目の写真)。朝になると、その子は、ヴィートのベッドに一緒に寝ている〔優しいお兄さんと慕った〕。翌朝、他の子供達が芝生の上で遊んでいても、ヴィートは、隣のベッドの子と一緒にブランコに乗り、揺すってやっている。そこに、院長がやってきて、「ヴィート、一緒に来て。用があるの」と、優しく声をかける(3枚目の写真、ヴィートの横の子は、憧れるようにヴィートを見ている)。
  
  
  

ヴィートを呼び出したのは、警官の格好をしたロッコだった(1枚目の写真)。そして、適当な理由を院長に言い、ヴィートを連れ出す。車の中で、ロッコは、「オルランドも可哀想に! 奴はいいダチだった。心配すんな。これからは、俺が面倒をみてやる。いいな?」とヴィートに話しかけるが(2枚目の写真)、何となくロッコが好きになれないヴィートは、あまり嬉しそうではない。夜になって、ロッコはヴィートをルナ・パーク(Luna Park)という、ローマで最初にできたテーマパークに連れて行く〔コロッセオの南南西6キロ〕。ジェットコースターの先頭車両に乗った2人。ロッコは、「ここに来たのは初めてか?」と訊く。ヴィートは、アイスクリームを与えられ、「かわいこちゃん一杯だろ」(3枚目の写真)、さらには、「俺たち、友だちだよな?」と肩を組まれても、笑顔になれない。
  
  
  

ロッコは、「こうして遊園地まで連れてきてやったんだ。今度は、お前が俺のためにしてくれる番だ」と、態度を豹変させる。「オルランドの包みだ。俺のダチによれば、お前は包みをポリに渡さんかったそうだな」。「包みのことなんか知らないよ」(1枚目の写真)。「嘘だ。包みの中身はオルランドのもんじゃない。俺のだ。それを、お前に託しただけだ」。ここで、ヴィートは、決定的なミスをする。「オルランドは、包みは自分のものだと言ってたよ。僕、持ってない。顔に傷のある男に奪われたんだ」と言ってしまう。包みの存在を認めた上に、嘘までついてしまった。この明らかな嘘に、ヴィートは頬にビンタを食らう(2枚目の写真)。「お前が包みを持ってることは 分かってるんだ」。「死んだって言うもんか!」。ジェットコースターを降りた後、ロッコは園内の公衆電話から指示を仰ぐ。「ぜんぜん… 口を割ろうとしません。俺、言われたこと、ちゃんとやったでしょ? あとは、あんたさんが するんでしょ? 俺にはできんから。これから連れて行きます」。この話し方から、ロッコが最初から顔に醜い傷を負った殺人鬼の仲間だったという可能性はなくなり、オルランドが殺されてことで怖気づいて寝返ったのであろう。ヴィートは、電話の間中、ロッコに手を捉まれていたが、2人の少女がふざけながら走って来て ぶつかりそうになったのを利用し、手を振り切って逃げ出す(3枚目の写真)。ロッコは、言い訳を交えて電話を切るのに時間を取られているうちに、ヴィートは、テーマパークの人混みの中に消えてしまう。
  
  
  

ヴィートは、閉園してから隠れ場所を変え、翌朝、レトロな子供向けの乗り物のカバーの中から現われる(1枚目の写真)。次のシーンで、ヴィートはシモーネのリュックを投げ込んだ路地まで来て〔テーマパークの北北東8キロ弱〕、窓ガラスの隙間からリュックを回収し、背負って歩き出す(2枚目の写真)。ヴィートが向かったのは、そこから東南東約1キロにあるローマ・テルミニ駅。切符を買い求める長い列に並び、順番が来ると シエナまでの切符を購入。要求されたのは9400リラ〔940円/路線距離で413キロもあるのに、信じられないほど安い/現在のJRで940円では50キロ(普通列車)しか乗れない。しかも、ローマ~フィレンツェ~シエナを普通列車で行ったとは思えないので、特急料金も含んだ料金で この安さとは!/ネットで現在の運賃を調べると17.85ユーロ(円安なので2200円)。JRでは140キロ(普通列車)しか乗れない。よほどJRが割高なのか?〕。ヴィートは黒い袋から予め出しておいた1枚の10万リラ〔1万円〕札を出す(3枚目の写真)。
  
  
  

シエナの駅で降りたヴィートは、シモーネの教科書に書いてあった 「ジネストレ通り(Via delle Ginestre)1928番地」を目指す。途中の小さな広場でサッカーごっこをしていた子供達がいたので、「ジネストレ通り、どこにあるか知ってる?」と訊く(1枚目の写真)。子供たちの一人が知っていて教えてくれる。ヴィートが歩き始めると、ボール遊びが再開され、誰かが蹴ったボールが高く舞い上がり(2枚目の写真)、工事の柵の向こうにはいってしまう〔このロケ地は、ローマの北北西約70キロ、シエナの南南東約115キロにある ヴィテルボ(Viterbo)という町のカペラ広場(Piazza Cappella)(3枚目の写真は、2枚目の写真とほぼ同じ角度のグーグル・ストリートビュー)〕。ヴィートが、どうなることかと見ていると、先ほど道を教えてくれた子が、2枚のトタン板の継ぎ目にできた穴から中に入ろうとするが、体が大き過ぎて入れない。それを見た 体の小さい子が飛んできて替わりに中に潜り込む(4枚目の写真)。しばらくすると、潜り込んだ少年は、ぜんぜん違う場所から、ボールをつきながら姿を見せた(5枚目の写真)〔重要な伏線〕
  
  
  
  
  

ヴィートは、ジネストレ通り1928番地の立派な門の前に辿り着く(1枚目の写真)。シエナにジネストレ通りはちゃんとあるのだが、このロケ地は、何とローマ市内〔コロッセオの南南東6.6キロ。オルランドのアパートの西南西4.5キロ〕。この門を含めた全景は、2枚目のグーグル・ストリートビューでよく分かるように、歴史上有名な古代ローマのアッピア街道に面している。アッピウス・クラウディウスが監察官となり、ローマからカプアに至る全長210kmの “古代ローマ初の軍用道路” の建設に着手したのはBC312年。目的はサムニテス戦争を有利に進めるためだったので、最初は未舗装だった。このアッピア街道が、今見られるように石で舗装されるのはBC295年以降。今から、2416年も前。ヴィートには、こんな背の高い門は乗り越えられない。そこで、ヴィートは街道から離れて敷地の裏に回り、低い場所を探し、リュックを先に投げ込んでから、乗り越える(3枚目の写真、矢印はリュック)。ヴィートは、広大な庭の中を突っ切り、イタリア庭園の典型、刈り込まれたイチイが両側に並ぶ道を正面玄関へと向かう(4枚目の写真)。このリヴィア荘(Villa Livia)のグーグルマップ(航空写真)を5枚目に添える。矢印が、4枚目の写真の場所〔ヴィートは、恐らく、矢印の右側から侵入し、空色のプールの脇を通り、矢印の場所に出たのであろう〕。矢印の下の「門」が、1枚目の写真の門。直線的に伸びる点線がアッピア街道だ。
  
  
  
  
  

玄関は施錠されていなかったので、ヴィートはそのまま家の中に入って行く。1階をそろそろと歩いていると、ドアが開く音がしたので、階段を小走りに上がって2階へ。1階にいたのは シモーネの母だった。ヴィートは、2階の最初の部屋に入る。そこは、少し変わった雰囲気の部屋だった(1枚目の写真)。最初にヴィートの目を惹いたのは、人形劇用の棚。このことから、ここがシモーネの部屋だと分かる。ヴィートはリュックをシモーネのベッドの脇に置くと、棚に飾ってある色々なものに手を触れてみる。そして、部屋の一番奥にある机にも座ってみる(2枚目の写真、矢印)。最後は、もう一度ベッドの所に戻り、マットレスに腰を下ろす(3枚目の写真、矢印はリュック)。そして、そのままベッドに横になると、疲れていたので眠ってしまう。
  
  
  

ヴィートは、部屋のドアがカチリと回される音で目が覚める。次のシーンでは、シモーネの母が部屋に入ってくる。そして、ベッドの脇に置かれた息子のリュックに気付く(1枚目の写真、矢印)。母は、すぐにリュックを手に取るが、次に、少し窪んだマットレスに手を当て、温(ぬく)もりがあることに気付く。その時、棚の上の操り人形が1つ落ちる。母が 人形劇用の棚を覗くと、中にはヴィートが隠れていた(2枚目の写真)。それから先の展開は、シモーネの母が 息子を奪われてから1年も音信不通状態に置かれた精神的なストレスが生んだ一種の錯乱と見ることができる。リュックが戻ったことで、ヴィートを息子だと思い込んでしまった母は、ヴィートを湯船に入れ、優しく洗ってやる(3枚目の写真)〔パンフレットには、ヴィート役のコラオは、「裸になるのを恥ずかしがってパンツを4枚履いた」と書いてあった〕
  
  
  

お風呂が終わると、シモーネの母はヴィートにバスローブを着せて 自分の寝室に連れて行く。そして、ヴィートをベッドに座らせ、昼食のサンドイッチを食べさせながら、自分は、シモーネに着せようと買っておいた服を取り出す。そして、ローブを脱がせ(1枚目の写真)、洒落たシャツを着せる。ズボンを履かせようとしているところに、シモーネの父が 何事が起きたのかと入ってくる。そして、「マルタ」と声をかける(2枚目の写真)。「何してる?」。「見えないの? シモーネが戻って来たのよ」。「何を言ってる?」。「やっと、戻って来たんじゃないの!」。「止めんか! 止めてくれ、マルタ。それは シモーネじゃない」。マルタは、部屋に持って来てあったリュックを見せる。それを見た父は、まったくの絵空事でないことに気付き、リュックに飛びつく。その時、ヴィートは 「お金を持って来た」とだけ言う(3枚目の写真)。
  
  
  

シモーネの父は 「これ、どこで手に入れた? 誰が渡した?」と訊き、ヴィートが黙っていると、いきなりヴィートの頬を引っ叩く。マルタは、「ダメよ、ダビデ! お願い!」と、必死に止めに入り、ヴィートを抱き締める。ダビデは、リュックの中に入っていた黒い包みを開け、中に札束が入っているのを確認する。「君は、誰だ? このお金は、どこで手に入れた?」。ヴィートは、まだ黙っている。我慢できなくなったダビデは、ヴィートにつかみかかり、「シモーネはどこだ?」と 激しく問い詰める。ヴィートは、「死んだ〔E' morto〕」と、ようやく一言(1枚目の写真)。それから、どのくらい時間が経ったのかは分からない。3人は 広大な部屋の隅にある 小さな円形テーブルに座っている。一時の精神的な錯乱が治(おさ)まったマルタは、夫に 「ダビデ、この子をここに住まわせましょ。一人ぼっちなのよ。なぜ、聞き入れて下さらないの?」と頼む。「君は、自分が何を言っているのか、分かってないんだ」。「でも、私のところに来てくれたのよ」。「なあ、よく聞くんだ。シモーネは生きてる」。そう言うと、アタッシュケースから1枚の写真を取り出す(2枚目の写真、矢印)。それは、例の殺人鬼から送られてきた偽の写真で、“昨日の新聞” とシモーネが一緒に写っているものだった(3枚目の写真)。こんな写真は簡単に合成できるのだが、シモーネに生きていて欲しいダビデは、ヴィートの言葉を信用せず、殺人鬼の要求通りに金を払い、シモーネを取り戻すことに一縷(る)の望みを託している。
  
  
  

ダビデは、自分が戻って来るまでの間、ヴィートを2階の部屋に閉じ込める。「心配するな」と言うので、当面、警察に突き出す気はなさそうだ。妻マルタは、「行かないで、ダビデ。心配なの。あなたまで失いたくない」と引き留めようとする。ヴィートは、ドアに張り付いて、その話を聞いている(1枚目の写真)。出発時間の夕方が近づくと、ヴィートは部屋のテラスに出て、柵越しに 下に停まっているダビテの黒のメルセデスを見下ろす(2枚目の写真)。しばらくして、ダビデは 妻が必死で止めるのを振り切って家を出ると、お金の入ったアタッシュケースをトランクに入れ、運転席に乗り込む。しかし、後部座席の床には、見えないように体を丸めたヴィートが 予め隠れていた(3枚目の写真)。
  
  
  

メルセデスは、殺人鬼から指定された廃工場の中に停車。しばらくすると、反対側から殺人鬼の乗った車がやってきて、正面に向かい合った形で停まる。両者はドアを開けて車の外に出る。殺人鬼は、「金〔I soldi〕。金はどこだ?」と要求する。ダビデは、当然だが、「息子を見たい」と要求する(1枚目の写真)。「何だと? 俺に指図する気か?」。「そう言ったじゃないか。交換に同意すると。息子はどうした?」。「そう急くな。金が先だ」。「生きている息子を見せろ」。「金を持って来なかったのか?」。「もし、息子が死んでたら?!」。「何をほざく。カミさんを苦しめたいのか? 金を寄こせば、ガキは自由にしてやる」。この欺瞞に耐えられなくなったヴィートは、後部ドアを開けて外に飛び出ると、ダビデに 「ダメ! あいつを信用しないで! シモーネを見せる気なんかないんだ!」と言い、頭からソックスを被った殺人鬼を睨む。ダビデは、「この子が、ここにいるなんて知らなかった」と言い訳するが、そんな弱気な発言は無視し、ヴィートは 「僕は、その人に お金なんか持って来るなと言ったんだ。お前がシモーネを殺したからな! 写真は偽物だ!」と 大胆な告発をする(2枚目の写真)。殺人鬼の運転手は、「チクショウ! 俺たちを騙したな! 犬のように殺してやる!」と叫ぶと〔騙したのは、自分達の方〕、ルパーラを持って駆け寄り、ダビデの額をルパーラで強打する。それを見ても、ヴィートは、「シモーネは死んだ。なぜ、それを言わない? お前は、僕の家族を皆殺しにした時、シモーネも殺したじゃないか!」と、すべてスッパ抜く。こうなっては、嘘の身代金強奪は不可能となる。それでも、殺人鬼は、「黙れ! 金だ! 金を寄こせ!」と要求する。ダビデは、「シモーネは死んだのか? そうなのか?」と、殺人鬼に訊く。「事故だった。金を寄こせ。さもないと殺すぞ! これが最後だ!」。ここで、ヴィートが勇気を見せる。「僕が持ってる。オルランドのお金。いっぱいある。隠したのは僕だ」。これは、殺人鬼が想定していたことで、ヴィートがまさかダビデに返したとは思っていないので、100%信じてしまう。そこで、ヴィートが 「この人に構うな。そしたら、お金はお前にやる」と言うと(3枚目の写真)、ダビデを殴りに行った運転手に ヴィートを連れて来させる〔メルセデスのキーは取り上げる〕。ヴィートを乗せた車は、ダビデを生かしたまま残して 走り去る。
  
  
  

車に乗ると、殺人鬼が 「面倒かけやがって。これで、ケリがついた」と言い、運転手が 「生意気な口をきくなよ。分かったな?」と言う。そのあと、殺人鬼は 「神でさえ、もうお前を救えん。金はどこだ?」と訊く〔殺されると決まっているなら、教える気がなくなると思ううのだが…〕(1枚目の写真)。ヴィートは、昨日、子供達がボール遊びをしていた広場へ連れて行く。広場に着いたヴィートは、“2枚のトタン板の継ぎ目にできた穴” を指す。少し太った子ですら中に入れなかったので、殺人鬼が入れるハズがない。そこで、代わりにヴィートが中に入る。逃げられないように片方の足を捕まえていたが(2枚目の写真)、どんどん奥に入るにつれて握る力が弱くなり、ヴィートは手を振り切って中に逃げ込む。殺人鬼は、中に通路があるとは思わないので、出口で悔しがるが、ヴィートは、小柄な少年がやったように、足場の中を潜り抜けて別の出口から出て来る。しかし、それを運転手に見つかってしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

ヴィートは、そのまま車の通れない路地を全力で走る(1枚目の写真)〔殺人鬼は 走って追ってくる〕。ヴィートが、階段を駆け上がった所は広場になっていて、そこに敵の車がやって来る(2枚目の写真)。そこで、ヴィートは、やむを得ず、点線で示したように、反対側の階段に向かって走る。このロケ地は、ヴィートがトタン板の隙間に逃げ込んだカペラ広場のあるヴィテルボの町の中心にあるサン・ロレンツォ広場(Piazza San Lorenzo)。そして、階段の上には、有名な教皇の宮殿(Palazzo dei Papi)がある(3枚目のグーグル・ストリートビュー参照)。別の角度からの写真にしたのは、ヴィートの動き(点線)が、よりよく分かるから。この建物に、なぜ “教皇” という名前が付いているのか? 理由は、「アーモイタリア」という日本語のサイト(https://amoitalia.com/area/lazio/viterbo/conclave/)に非常に分かり易く書いてあるので、興味のある方はそちらを参照されたい。ここまでヴィートを走って追いかけてきた殺人鬼は、階段の下に着いたところで、頂上間際のヴィート目がけてルパーラで撃つ。ヴィートは、そのまま 崩れるように階段の上の石畳に倒れ込む(4枚目の写真)。
  
  
  
  

少し前に戻るが、前節の1枚目の写真の直前に、ヴィートが誰もいなさそうな警察署のドアをドンドン叩いたのが効いたのか〔応答はなかった〕、殺人鬼が撃った銃声が原因かは不明だが、殺人鬼が、ヴィートにとどめを刺そうと階段を上がり始めると、運転手が、「逃げろ! ポリ公だ!」と叫ぶ〔いくらなんでも、パトカーの来るのが早過ぎると思うのだが…〕。殺人鬼は 運転手の忠告を無視し、階段を半分ほど上がったところで、パトカーが到着。殺人鬼のルパーラに対し、警官は機関銃で応戦。その激しい撃ち合いの音を聞きながら、ヴィートは目を閉じる(1枚目の写真)〔気を失っただけで、死んだのではない〕。ヴィートが、夢の中で見たものは、カンブリアにある生家。そこでは、屋外に長いテーブルが出され、会食の最中(2枚目の写真)。テーブルには、殺された全家族だけでなく、従兄のオルランドもいる(3枚目の写真)。母は父に料理をよそっている(4枚目の写真)。ヴィートは、テーブルの下を覗き、父の靴に〔映画の冒頭のように〕血痕が付いていないのを見て 父に にっこりと微笑みかける(5枚目の写真)。そして、この食事の席には、何と、シモーネとその両親もいる(6枚目の写真)。
  
  
  
  
  
  

映画は、再び現実に戻り、先ほどの銃撃戦から数分後だろうか? 救急車が到着している。警官は、ハチの巣状に撃ち殺された殺人鬼の死を確認したあとで、階段の上まで行き、まだ息のあるヴィートを発見し、救急隊員を呼ぶ(1枚目の写真、矢印はヴィート)。そこに、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーが着き、中からシモーネの父ダビデが降りる〔携帯電話で警察に通報した? ヴィートたちの行き先は不明だったが、銃撃があったので ここに連れて来られた?〕。担架に乗せられて階段を降りて来たヴィートは、ダビデと目が合う(2・3枚目の写真)。
  
  
  

最後のシーンは、どう解釈すべきなのか よく分からない。シモーネの部屋の机に一人の少年が座っている(1枚目の写真)。彼が、ゆっくりと振り向くと、それが笑顔のヴィートだと分かる(2枚目の写真)。ヴィートの勇気に感動したダビデが、マルタが希望していたようにヴィートを館に住まわせることにした、と考えるのが一番あり得る想定だろう。ひょっとしたら、単に住まわせるだけでなく、養子にしたのかもしれない。
  
  

   の先頭に戻る              の先頭に戻る
  イタリア の先頭に戻る          1990年代前半 の先頭に戻る